平成12年に地方自治法の大改正が行われた。
何が変わったかというと
それまで上位機関だった国と市町村とが対等になったということ。
この対等という言葉が曲者で
国が地方に口出しをできなくなった。
その結果として起きてしまった問題が
長野県知事と阿久根市長の問題だ。
結局国の方針に逆らっても、住民の支持があれば
メチャクチャができる前例となってしまった。
自治体の首長の権限がいかにでかいかという実例を見せつけた問題だ。
結局二人とも壊すことは出来ても作ることが出来ないので
住民からそっぽを向かれて野に下った。
平成12年の改正前には、首相が知事と市町村長を首にできる伝家の宝刀があった。
抜かずのカタナとか言われていたけれど、法律があれば十分に牽制になる。
国は地方の暴走をとめる手段を失ってしまっているのだ。
また、対等になったということで国が市町村をリードすることをやめてしまった。
例えば法律の大幅改正にあわせて以前は
この法律に合わせるために、条例をこう変えなさいというような見本の条例が配られた。
ところが最近は、そんなことはしない。
法律を変えたので条例を変えなさい。それはそちらの考えにお任せします。
大きな市町村で、法律の専門家が大勢いるところは良い。
ところが小さな市町村はどうするか?
法律のコンサルを高い金でやとい、その市町村にあった条例を作らなければならないのだ。
体力のない市町村は、隣の大きな市町村におんぶにだっこ。
もしくは、自腹をきってコンサルをやとう。
コンサルは時間が経てば経つほど値段を釣り上げていく。
・・・そして国が示した答えは「体力のない市町村は10万人規模を目処に合併すべきだ」
平成の大合併は行われた。
その結果何が起こったか?小さな自治体にはそれぞれの地域に目を配ることが出来た。
それがなくなったがゆえの「限界集落」「日本の荒廃」・・・・
マッチ・ポンプそのものである。
今度は小さい市町村の業務の大半を、民間に委託しようとする方向で様々な動きがある。
麻生副総理が言っている「水道事業の民営化」それもそうだ。
大半の水道事業は赤字になっていない。そしてその利益は住民に還元するたぐいのものだ。
民営化にして効率が上がるかといえば、決してそうとは思えない。
水というのは、人間に無くてはならないものだ。
そしてうまく言っている公営企業を民間に払い下げるなんて言語道断である。
室崎 益輝 幸田 雅治
ミネルヴァ書房
売り上げランキング: 50,581
ミネルヴァ書房
売り上げランキング: 50,581
つまり、平成12年の地方自治法の大改正は
国が責任を放棄し
日本の地方を疲弊させ、住民の財産を民間に払い下げるためのものだった。
これは言い過ぎではないと思う。
これは言い過ぎではないと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿