江戸という都市は、一時世界で一番大きな人口をもつ都市だった。
そこにあつまる物資の量もすごい。そして、現在であればノーベル賞を受けられるほどの才人も
すでに「先物取引」、「空売り」など現物以外の取引をする商人が現れていた。
江戸と大阪では金と銀の価値の差から「為替」が発生し、それを利用した取引も行われていた。
なんのことはない、国内で現代の経済と同じ動きをさせていた国ではなかったのか?
もちろんヨーロッパの同じ時期の商人を見てみなければわからないけれど
そうそう引けを取っていなかったのでは?
そしてノーベル賞級の経済学の専門家「荻原重秀」である。
「本来、お金というのはなんでもいいわけで、瓦でもいいのだ」
と通貨の本質を見抜いている。
天才的な経済官僚である。
しかし、そのあまりに早すぎる先見の明が
守旧派の新井白石に徹底的に嫌われ、讒言の上、歴史の表舞台から姿を消すことになる。
荻原に勝った新井白石の政策は、貨幣経済に移りつつある経済を無理やり過去の時代に戻そうとした
言ってみれば、デフレ政策で、この後しばらくは、江戸の経済が停滞する。
明治政府の制作もあるのだろう、不思議なもので新井白石はその後奸臣を粛清した賢臣に祭り上げられる。
どう見ても経済政策は、荻原重秀のほうが上だったにもかかわらずである。
現在につながる微妙な空気は、この時からすでに作られていたのだろうか。
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