2013年11月12日火曜日
享保の改革とは?
10.ようやく理解した吉宗と、理解していた大岡越前
享保の改革以前
食料の増産制作による米の増産。一方で不十分な貨幣の流通量によりデフレに陥る。
米によって生活をしている武士、農民にとってみると
豊作になればなるほど米の価値が下がる状態が続く。
逆に豊かになったのは、すでに貨幣経済に移行しつつあった両替商(金融機関)か。
米の価値を下げないためには、米の買い占めを行う必要がある。
しかし、米自体は農作物のため豊作になればなるほど何処かから流通してしまう。
綱吉の浪費と合わせて財政赤字が続いていた状況。
1.幕府の収入を増やす=有毛検見法【ありけげみ】
毎年の出来高によって租税率が決まる。
それまでの定免法、数年間の平均をみて米の租税率を決める。
定免法なら、平均以上の豊作であれば農民に余裕が生まれる。
一方、有毛検見法であれば、余裕の分は租税で持っていかれる。
きついと書いてあったが果たして?
2.貨幣の流通量を増やすことによって相対的に米価を上げる(インフレ政策か?)
1.との組み合わせで、幕府の大幅な収入増となる。
実際、吉宗の時代で幕府の最高税収を得たとのこと。
ところが、農民側にしてみると、租税負担率の増加。インフレによる米価の低迷。
たまったものではない、結局農村の荒廃を招いた。
統計を見てみないと何とも言えないが、離農が多かったとの事。
吉宗といえば名君のほまれ高い人ではあるが、農民にとっては悪夢のような人だったのか?
貨幣の流通量だけを増やしていけば、時間はかかったが農民も豊かになった=安定した可能性
結局吉宗は、幕府のことしか考えられなかった。
時代からして当然か。
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