昨日の続きです。同級生のことは良きにはからへで
古代史とか考古学だったらどの先生がどんな論説をはっているという基本情報は頭に入っています。
だから、ここらへんの本はこういうことが書いてあるのだろうというふうに当たりをつけて本を購入できました。
(学生の頃はねw今は漫画くらいしかわからんw)
ところが、最近興味を持ち始めた江戸時代になると全く門外漢。本屋に行っても途方に暮れるばかり
いやマジでこの感覚はAmazonではないよなぁと。確かにレビューは役に立つんだけどさ。
ほとんど衝動買いが、全てなわけで。ところがまっとうな本屋に行くと
本を選ぶにも時間がかかる。昨日は結局3時間くらい本を立ち読みし続けていた。
だってどの本の著者の良し悪しが全くわかんないんだもん。
「歴史はそれを書いた歴史家を見よ」というのはよくある話です。
例えばサヨクよりな、著者ならばサヨクよりの評論になるし
保守ならば保守的な評論になるし。
同じ事象を見ていながら全く別の記述になるのです。
今流行のポジショントークってやつですわな。
一例を上げてみると
サヨク的なポジションの人が
「妾」という制度は、当時の金持ちという男性社会と特権階級によってもたらされた
女性の人権を全く顧みない制度で、民主化の進展とともに批判の的となりやがて廃れていった。
とかく人もいれば、少々保守的なポジションの人は
「妾」というのは、「家」の存続を考えた時に無くてはならない制度であり
正妻が子供をもてないときに、正妻も合意の上で「家」に迎えいれたものであり
たちばも正妻のほうが上であった。また、戦争直後という社会情勢の中
極端に男女比率で男性の割合が下がってしまったので
国が暗に「妾」をもつように推奨していた側面も否定出来ない。
同じことを書いてここまで違うことも珍しくはないわけで
結局、歴史を学ぶということは歴史家を見るというのも当然含まれているわけで
学校に行くというのは、どんな学問にせよその目を養うための訓練という意味合いも強いと思う。
で結局、江戸時代の知見が希薄なおいらは同じ歴史書を何度も手をとり
内容を見ながら、購入を決めざるを得ない。
内容を確認できるのも、街の本屋さんのほうがネットよりもはるかに優れている。
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