昨日卑弥呼の話しを出したので
ついでに、邪馬台国はどこにあったかという論争
九州・近畿の2つが主な候補だけど、実は他にもいっぱいある
一番遠くはエジプトという説もある。
一応、目安はある。昨日の「倭人条」に書いてある。
でもそのとおりに行くと太平洋のどまんなかに出てしまう。
そこで、色々な論争が起きるんだな。
まず卑弥呼って女王がいるから、皇室の伝統ではなく、地方部族だから九州だ!
いや卑弥呼とは神功皇后のことだから大和地方(畿内説)ね。
日本国内にもアチコチに「ヤマト」という地名があるからそこかしこに邪馬台国はあったのだ
一番いかれている論文になると
卑弥呼とはクレオパトラのことであるから邪馬台国はエジプトにあったのだ
百家争鳴。
決着がつかない。
かといえば「元々の文章がおかしいのだ。実をいうとこれは政治的な意図があって
本来はこう読むのだ」と文章を勝手に読み替える人間も出てくる始末。
う~~~んおわんない。
俺が学生やっていた時はメチャクチャそんなのが流行っていたのだけど今はどうなんだろう?
昨日も少し話したけれど、佐賀県で吉野ヶ里遺跡が出たときは衝撃だった。
倭人条に書かれているとおりの集落があったからだ。
これで九州説にはずみがついたかとおもいきや
畿内説の連中は、弥生土器に記されている妙な建物をたてて対抗した。
そしてこういう
「一般の方たちの間では九州説が有力になっていますが
学会の定説は畿内説なんですよ」
ん~~どこかで聞いたような捏造のささやきというかなんというか。
さて、実際はどこにあったんだろうか。
正解は、「誰にもわからない」である。
邪馬台国のあった時に書かれた文章なんて『三国志魏書東夷伝倭人条』だけだし
(『後漢書』があるけど三国志を読んで書かれたんだろうともっぱら・・・)
そんな不正確な文章で場所を特定できるなんてありえない。
仮に、文章に出てくる「金印」がどちらかの地区で出てきたにせよ
「金印」がものだけに簡単に動くという性質から絶対にどっちの説も消えない。
どのみち「だれにもわからない」のだ。
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