ルイス・フロイスという宣教師が居た。
この人30年以上も日本に居着いたんだよね。
いつくだけの人ならいっぱい居たのだろうけど
この人はしっかり本を残していた。
それが「日本史」という資料で、当時の日本の風俗を記した貴重な記録になっている。
なぜって、このブログでもちょこっと触れたけど
人間は毎日過ごしている日常を記録はしないし
風俗や習慣など自分たちが当然と思っていることを残そうとは思わない。
例えば、祭りがあっても普段通り祭りが執り行われたら
「○年☓日に、祭りが例年どおり行われた」としか書かれない。
ここでちょっと問題が起これば、色々な記録が残されるわけだけど
その考察はまた今度にしよう。
ところが、その何の変哲もない毎日を
異邦人がみたらどう思うか?
すべてが新鮮な発見の連続だろう。
実際、ルイス・フロイスの「日本史」もそういった視点で書かれており
もし、彼が居なかったら記録されなかった事も多い。
ただし、彼は宣教師という立場で物事を見ているということを忘れてはいけない。
そして、彼が異邦人であるから余計理解しないで
書いた記録もある事も当然あると思う。
それを前置きして一つ一つを見て行きたいと思う。
日本の女性とその風貌、風習について、日欧文化比較より
今日は、特に若い女性に関しての部分を抜き出して見ました。
一、ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と尊さは貞操であり、またその純潔がおかされない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ、結婚もできる。
三四、ヨーロッパでは娘や処女を閉じこめておく事は極めて大事なことで厳格に行われる。日本では娘たちは両親に断りもしないで一日でも数日でも、一人で好きなところへ出かける。
1についてはう~~ん。
個人的には、やはり適切な年齢と適切なときにちゃんと経験しておいたほうが
後々のためだと思うし、この考え方は間違っちゃいないと思う。
ただ、俺の若い頃は処女性というものを貴重なものと考えてた風潮もあるし
未だに結婚前の男性関係を気にする男性が結構いるからどうなんだろう?
やはり処女性を尊ぶ西欧化されていたということなんだろうか?
三四に関してはヨーロッパの考え方は不健康そのものだし、”箱入り娘”と言った言葉が
浮かぶ。
ただし、”一人で出かける”というところがかなり怪しいかな?とは思っている。
ルイス・フロイスがどの社会階層と付き合っていたかはっきりと書いていないが
社会階層の上位の人間であれば、一人というのは、家人が何人ついていても一人
ということになるのではないかと思う。
この辺、中世史の素養がないおいらには難しすぎるな。
若い女性の件だけ見ても、ルイス・フロイスがおかしいと思った部分を共感できてしまう。
やはり、我々は西洋化とともに、色々なものを置き忘れてしまっているようである。
次回は既婚女性の回です。
もうちょっと煮詰めてから書きたいなぁ。
ちょっち消化不良気味。
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