2011年10月25日火曜日

すごいぞ日本!

※この文章は自分を奮い立たせるために書いています。
多少の歴史考証がハチャメチャなのも笑って許してください。

他国からの日本人の最初の評価が出てくるのは戦国時代です。
日本に布教にきた西洋の宣教師たちです。

戦国時代には、日本人のことをイタリア人宣教師の
オルガンティーノ・ニェッキ・ソルディはこう評しています。

「我々ヨーロッパ人は互いに賢明に見えるが、 彼ら日本人と比較すると、はなはだ野蛮であると思う。
 私は真実、毎日、日本人から教えられることを認めている。
 私には全世界中でこれほど天賦の才能を持つ国民はないと思われる。」

彼は日本人の美徳を次のようにあげています。
箇条書きにします。

◆知識欲旺盛     日本人は頭がよく、学ぶことを大事にし、ものを早く覚える
◆新しいものを好む 新しいものが好きで、それを抵抗なく受け入れる。
◆親切
◆清潔
◆質素
◆勇敢
◆行儀のよい

どうです!16世紀からもはや日本人は日本人の美徳を持っていたのです!
しかも他の国の人間が認めるほどの!

もっともっと言いたいので続けます。
有名なフランシスコ・ザビエルの日本人評です。
「 異教徒中には日本人に優れたる者を 見ることが不可能だろうと思われる」

言い方が回りくどいので私的意訳を

「異教徒のなかで日本人がいちばん優れている」

異教徒扱いしているあたりザビエルの人間性を感じちゃいますね。

もう一人宣教師のアレッサンドロ・ヴァリニャーノ

「 道徳と学問に必要な能力について語るならば、
私は日本人以上に優れたる能力ある人々のあることを知らない

どうです?決して一人の宣教師がお世辞でいっているわけではありませんよ!

戦国時代が終わり、日本は300年に及ぶ長い鎖国時代に入ります。

国際交流が無くなったことで日本は文化不毛の地になったのでしょうか?

いいえ全く違います。

実をいうと鎖国時代にこそ日本最高の文化が花開きました。

それは「町人文化」です。

町人は、それこそ貪欲に娯楽を求めそれを生み出しまた消費して行きました。

「歌舞伎」「錦絵」「仮名草子」「お伊勢参り」など 数え上げたらきりがありません。

歌舞伎は出雲の阿国の起こした歌舞伎踊りから
風俗規制をへて「若衆歌舞伎」
さらなる風俗規制を受けて「野郎歌舞伎」に発展して行きました。
規制がかかってもそれを発展させて
新しい娯楽を生み出してしまうのが日本人です。

錦絵や仮名草子は、町人たちの楽しみのため
多量に印刷されそれが普通に売られていたのです。

ヨーロッパに持ち込まれた錦絵のほとんどは、
少ないながらあった日本からの輸出品の包み紙に使われていたものです。

それをヨーロッパ人が偶然見つけて賞賛したのです。
つまりーロッパ人が驚いた芸術は、
日本人にとっては、当たり前の使い捨ての包み紙に過ぎなかったのです。

ただの包み紙からがヨーロッパに印象派を生み出しました。
痛快じゃないですか!

これらの素晴らしい芸術たちは、一握りの支配階級が作りだしたものなのでしょうか?

全く違います!最初に言ったとおり

町人という大衆が求めたもので、
言ってみれば大衆が芸術を磨いていったのです。
庶民が認めたものは人気が出てながく愛され
そうでないものは消えていく。。。

同じ時代またそれ以前で、庶民が芸術を高めていった国ほかにありますか?

「お伊勢参り」を上げましたが町人が楽しみのために旅行でした。
つまり観光旅行ですね。
東海道五十三次はそのために使いやすく整備されていきました。
いわゆる名物・土産というものもこの時代に発展しました。
観光旅行が庶民の楽しみの一つになった当時もしくはそれ以前の国があったら教えて下さい。
私は、勉強不足で知りません。
また当時の東海道は交通量が世界最大の道であったと記憶しています。

仮名草子の話がでましたが、日本の識字率の高さもすごいことに成っています。

識字率の高さは、15世紀にかの国から使いできた政治家を驚かせているし

よく時代劇で、町民が高札を読むのは
我々にとって見たらあたり前の光景ですが、それに驚く外国人も多いです。
町人クラスの人間は字を読めないのが他の国のスタンダードです。

その識字率の高さが、明治以降日本を短期間で
世界の一等国に押し上げたのは言うまでもありません。

指導者が優れていたわけじゃないのです。
国民が世界一優秀で勤勉だったのです。

俗に言われる「読み書きそろばん」とは
江戸時代の寺子屋のカリキュラムなんですよ!
言葉だけではなく算術も!町人の学問のレベルは間違いなくその当時の世界一でしょう。

学生時代に、レポートで幕末の寺子屋の数と、
明治初期の尋常小学校の数を調べろというのがあったのですが
殆ど数が変わっていなくて驚いたことがあります。
明治維新から、日本が開けたわけではなく
日本はとっくに開けていたんです。
黒船が来なかったら一体どんな文化を発展させていたでしょう?
町人文化が黒船によって破壊されてしまったのが残念です。

江戸の人口は18世紀には100万人を超えています。
北京、ロンドン、広東に続く世界最大の都市の一つでした。
記憶が不確かで申し訳ありませんが
確か世界一の都市だったこともあるはずです。

ちなみに大阪、京都もランクインしています。
この東洋のちっぽけな島国が世界の中でトップクラスで
ランクインしているんですよ!
それだけ農業と流通が発達していたということです。
確かに飢饉も多かったですが、
それでも日本人の数が激減したわけではありません。
戦国時代の終わりに違い関ヶ原の合戦で1,227万人、
平和だった、享保の改革のころには3,128万人も増えていました。
また、黒船のペリー一行は江戸の町の巨大さ清潔さ整然さに驚いたと聞きます。公衆便所があったのは当時の江戸だけです。
同じ時期のパリはトイレはなく道に垂れ流しの状態で
雨が降り馬車が通ると最悪だったと記録にあったと記憶しています。

つまり日本が発展させてきたのは文明ではなく文化だったのです!

文章の順番もめちゃくちゃですね。反省です。

我々は、第二次世界大戦後から夢中になって
アメリカの文化を取り入れてきました。
もちろん悪いものではなかったはずです。
しかし、こうやって並べてしまうと
日本の文化の前に物足りなさばかりが目立ちます。

我々はずっと何か目隠しをされてきて我々の本当の姿を見誤ってきたようです。
我々には奪われたあるいは奪われそうなものを取り返し、
後世に残していかなければならない義務があります。

がんばって仲間を増やしていきましょう。

参考:出典
「Wikipedia」
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1169.html 
http://blog.kyoudoutai.net/blog/2008/02/000437.htmlほか

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