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2013年11月18日月曜日

ものすごい江戸の経済

 

江戸という都市は、一時世界で一番大きな人口をもつ都市だった。

 

そこにあつまる物資の量もすごい。そして、現在であればノーベル賞を受けられるほどの才人も

 

すでに「先物取引」、「空売り」など現物以外の取引をする商人が現れていた。

 

江戸と大阪では金と銀の価値の差から「為替」が発生し、それを利用した取引も行われていた。

 

なんのことはない、国内で現代の経済と同じ動きをさせていた国ではなかったのか?

 

もちろんヨーロッパの同じ時期の商人を見てみなければわからないけれど

 

そうそう引けを取っていなかったのでは?

 

そしてノーベル賞級の経済学の専門家「荻原重秀」である。

 

「本来、お金というのはなんでもいいわけで、瓦でもいいのだ」

 

と通貨の本質を見抜いている。

 

天才的な経済官僚である。

 

しかし、そのあまりに早すぎる先見の明が

 

守旧派の新井白石に徹底的に嫌われ、讒言の上、歴史の表舞台から姿を消すことになる。

 

荻原に勝った新井白石の政策は、貨幣経済に移りつつある経済を無理やり過去の時代に戻そうとした

 

言ってみれば、デフレ政策で、この後しばらくは、江戸の経済が停滞する。

 

明治政府の制作もあるのだろう、不思議なもので新井白石はその後奸臣を粛清した賢臣に祭り上げられる。

 

どう見ても経済政策は、荻原重秀のほうが上だったにもかかわらずである。

 

現在につながる微妙な空気は、この時からすでに作られていたのだろうか。

2013年11月12日火曜日

享保の改革とは?


10.ようやく理解した吉宗と、理解していた大岡越前
享保の改革以前

 食料の増産制作による米の増産。一方で不十分な貨幣の流通量によりデフレに陥る。

 米によって生活をしている武士、農民にとってみると

 豊作になればなるほど米の価値が下がる状態が続く。

 逆に豊かになったのは、すでに貨幣経済に移行しつつあった両替商(金融機関)か。

 米の価値を下げないためには、米の買い占めを行う必要がある。

 しかし、米自体は農作物のため豊作になればなるほど何処かから流通してしまう。

 綱吉の浪費と合わせて財政赤字が続いていた状況。

1.幕府の収入を増やす=有毛検見法【ありけげみ】

  毎年の出来高によって租税率が決まる。  

  それまでの定免法、数年間の平均をみて米の租税率を決める。

  定免法なら、平均以上の豊作であれば農民に余裕が生まれる。

  一方、有毛検見法であれば、余裕の分は租税で持っていかれる。

  きついと書いてあったが果たして?

2.貨幣の流通量を増やすことによって相対的に米価を上げる(インフレ政策か?)

 1.との組み合わせで、幕府の大幅な収入増となる。

 実際、吉宗の時代で幕府の最高税収を得たとのこと。

 ところが、農民側にしてみると、租税負担率の増加。インフレによる米価の低迷。

 たまったものではない、結局農村の荒廃を招いた。

 統計を見てみないと何とも言えないが、離農が多かったとの事。

 吉宗といえば名君のほまれ高い人ではあるが、農民にとっては悪夢のような人だったのか?


 貨幣の流通量だけを増やしていけば、時間はかかったが農民も豊かになった=安定した可能性
 
 結局吉宗は、幕府のことしか考えられなかった。

 時代からして当然か。

2013年11月6日水曜日

続・続どんぐりころころどんぶりこ~縄文人は何を食べていたか~

昨日、中央道原パーキングエリアでそばを食べてふとがついた。

そばって縄文時代の食べ物に入るのかな?この前のカロリー的なところはどんなもんなんだろう?

さっそくいつものお得意のWikipediaで・・・おおあったあった!

~日本においては、縄文時代から食されていた~

しかし、まてよ?ソバっちゃ栽培する作物だよなぁ?

縄文後・晩期に稲作が始まっているのは確認されているけれど

それくらいの時期なのだろうか?・・・ん~気になる。出典は・・・・と

現代ビジネス『中国4000年より深い「そば」の歴史9000年』「日本でソバの栽培。高知県内で9000年

以上前の遺跡からソバの花粉が見つかり、当時からソバが栽培されていたと考えられている。」

へ?現代ビジネスだ~~~~~~~~????

あのなぁ!学術書だったらわかるけど、現代ビジネスを出典とするってどういうこっちゃねん!

これ困るのは、アホな大学生がロクに出典も調べずに、

Wikipediaに書いてあったからとか平気で言う時代やねんぞ。

第一9000千年前に栽培!ていうのは縄文早期から農業が芽吹いたってことで・・・

縄文農耕論が・・・あかん。完全に脱線した。

畑作文化の誕生―縄文農耕論へのアプローチ

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ま・・まぁ農耕論については又今度考えるとして、ソバやね。
えっとこの前のカロリー表まとめとこか。
食物 Kcal/100g 備考
ドングリ 252
お米 356
クリ 164
メザシ 144(56グラム) 4尾
鹿肉 110
猪肉 268
ウサギ 146

ふむ。蕎麦になってしまうけど、100gあたり133~140kcalか

鹿肉よりはマシだけれど。やっぱりカロリー的に大したことないなぁ。

それよりも今回驚いたのは、ソバが意外とヨーロッパで食べられていること

大概おかゆみたいな食べ方だな。

日本固有のものというわけでもない。どうも支那原産みたい。

どうしてもソバというと日本風の蕎麦を思い出してしまうけれど

アメリカみたいな新しい国を除き大半が支那と

旧ソ連を中心とした国で作られているのはちょっとした驚きだったな。

俺のモノ知らずもここに極まれりだなぁ。

やっぱり縄文時代はおかゆみたいな食べ方がメインだったのだろうなぁ。

ロシア料理のカーシャなんて簡単に作れて美味しそうだ。今度作ってみよう。
ka-sya

あぁ又歴史から離れてしまった(^_^;)

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2013年11月1日金曜日

歴史家を狂わせる魅力的なものと大御心

【直訴】 山本太郎参院議員、天皇陛下に手紙を手渡しする取り上げさせていただいた「大江戸食べもの歳時記」中に

こんな行がある。

p26

現代人の二倍の米を食べていた


 日本人は、昔から一人当たり一年間に一石(一五〇キロ)の米を食べてきた。江戸初期の日本人の人口は三〇〇〇千万人で、米は三千万石生産されていた。
 明治になって、人口が五〇〇〇万人になったとき。米は五〇〇〇万石とれていた。大正末期に六〇〇〇万人となったが、米の生産量も六〇〇〇万石に達していた。米の生産増が、人口を増やしていったのである。<後略>

確かに、統計学的データで面白みがあるが、これは歴史ではない。

もちろんこの数字自体は統計学上ではとても正しいのだけれど

あくまで歴史を補完するデーターにすぎない。

歴史とは、例えば全国の宗門人別改帳などから同時代の人間を洗い出し

諸藩の台所事情の資料から実質石高を洗い出すのが歴史的事実で、

統計学のデーターではない。

そういった点で歴史学は、不自由であるが、

歴史学が文書資料だけを扱う以上そういったものなのだ。

その制限を外したのが文化史学になる。

文化史となると、例えば民俗学のように古老たちの証言も扱う。

そして、時代のゴミあさり的な考古学的手法も取り入れる。

そしてその手法と歴史的事実が一致するのはごく僅かな場合である事を肝に銘じなければ

歴史資料、考古学的資料、聞き取り調査資料は扱えないのだ。

その上で先の文章の石高と人口論は歴史学者にとって非常に魅力的だ。

うっかりすれば、歴史資料を忘れて飛びつきたくなってしまうものだろう。

しかしそれは順番が違う。

あくまで歴史資料があってそれを補完する材料としなければならないのだ。

あ~~~歴史学者って面倒。

以前ドングリの話をしたけれどあれは、私自身の楽しみのための数字のお遊びであって

決して何かの資料しているわけではない。

(いやそのうちまじめにやりたいなぁとは思っているんですが、そのうちはそのうちw)

歴史の話はここまでにして

日本人として本日外せない話

【直訴】 山本太郎参院議員、天皇陛下に手紙を手渡しする

おもいっきりやってくれました。

馬鹿だ馬鹿だと思っていたら真正でした。

こいつを動物に例えたらその動物に悪いと誰かが言っとりましたが

馬さん鹿さんごめんなさい。

小沢一郎が習近平と強引に合わせた時とは空気が違う。

お陰であの公明党まで批判している。

【政治】皇室政治利用に相当=山本太郎議員を批判―公明政調会長

いま、陛下に触ることがまずいのはちょっと空気が読めるサヨクだったら

分かりそうなものなのにねぇ。

都内で日の丸デモかなり起きているでしょ?

安倍総理を右傾化で叩いている時にこんなことやるなんて

ほんと基地外としか。

必死で政治利用ではないと言い訳しているみたいだけど

右翼がみても反日サヨクがみても

政治利用。憲法違反。

でも彼をかばうわけじゃないけど

彼を当選させたのも日本国民なんだよね。

そこは大いに反省しなければねぇ

第一あんなに露骨にやっていた選挙違反

なんでスルーされたんだろう?

今回のことでそれを警察が持ち出してきたりして

だとしたら警察もどうしようもないなぁ



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2013年10月27日日曜日

江戸時代のインフレ・デフレ

江戸時代の貨幣システムはコメを中心に行っていた

コメの買い占めはコメの価格を上げるため、


つまりインフレーションを起こすためだと思い込んでいた。

全く逆だ!コメを貨幣と考えるなら

コメを買い占めて流通させなければデフレが起こる

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なぜなら、他の商品の価値がコメに比べて相対的に下がるからだ。

逆に、コメが豊作ならば、インフレが起こる。

となれば、コメの価値を取引していたサムライや商人は困る。

逆に多くの庶民は、助かる。

となると導き出される答えはひとつ

サムライや商人たちは、コメは飢饉を起こすほど取れなくても困るが

豊作になって取れすぎても困る。

豊作になって採れ過ぎたら、コメを買い占めてコメの値崩れを防がなければならない。

それを理解せずに新田開発などを行えば、経済規模が飛躍的に伸びるわけではないのだから

結局は、自分たちの収入が減っていくことになる

結局明治維新が起きて江戸幕府は倒れたけど

幕末は、貨幣経済の拡大によってコメの経済が終わったから

幕府と諸藩は苦しくなったと教わった

そうではなくて、長く平和な江戸時代が

コメの生産性を大幅に上昇させまた流通させ、コメの価値のインフレを起こし

サムライたちを苦しめたというのが正解ではないのだろうか?



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2013年10月26日土曜日

続・どんぐりころころどんぶりこ

189トンのドングリを得るには何ヘクタール必要か?

前回はそんなところで終わった気がする(ごめんちょっと酔っている)

なにか良い資料はないかと安直にネットサーフィンをして見つけたのが


イベリコ豚だ!!!!

越後むらまつ桜の里

金パリ食肉店様のサイトより

第3段階
肥育期間:モンタネーラと呼ばれる放牧期間。体重150~180kgまで
一般的には10月~2月、または3月まで続きますが、この間豚は土を鼻で掘り返してどんぐり、牧草、球根植物、植物の根を食べ、十分に運動をします。
一日平均約8kgのどんぐりを食べることにより1㎏太ります。
3ヶ月間で体重は90kg以上増加。
(1本に約25~30㎏のどんぐりの実をつける樹齢30~50年の樫の木が、1頭あたり25~30本必要。木の密集度にもよるが、1頭あたり1~2.5ヘクタールの森が必要)

はいはい来たよ!来たよ!

しかも3ヶ月で増える?すげーぞイベリコ豚!

ちなみにステーキ用100グラムが945円だ!ヒャッホー!!!

うちで買うのは100グラム89円のばら肉だ~~~い

(-"-;) ??

いや問題はそこではない気がするな。

そうそう一本につき25から30キログラムってところだ。

ちなみに樫のドングリはしっかり食用になりそうだな。

んで、少ない方の25キロをとって189トンから逆算すると

(もちろん樹齢30~50年としてだな)

7,560本の樫の木が必要と

で、ヘクタールを出すには7,560本を30で割ると

252から最大で630ヘクタールの森か・・・ん ピンと来ないなぁ

ちっさいちっさい大阪府の面積が、1,899キロ㎡

ん?一ヘクタールって10キロ㎡だから

大阪府でも足りないの???

神奈川県の面積が242ヘクタールか・・・結構デカイぞ

で愛知県の面積が514ヘクタールって

なぬ????500人でそこまで広い森が必要なの???

いや、それは管理できないだろう。普通に考えて

どんぐりひろいで最低で神奈川県一周???

いやいやないない

人の運べる重さには限りがあるし

まて?イベリコ豚はスペインだよな?

気候の差とかあるのだろうか?

それともやはり、ドングリの生成にてきすように

森の最適化=農業を行っていたことになるのか?

ドングリだけではやはり生活は無理なのか?

あかん、まじめに勉強せなネットからの拾い読みじゃわからへんわ


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2013年10月23日水曜日

どんぐりころころどんぶりこ。

ドングリ100グラムのカロリーは、252Kcalね。

クリは100グラムあたり164Kcalか

一方お米100グラムのカロリーは、356Kcalか。

ドングリを1とした場合

ドングリ:クリ:お米=1:0.65:1.41

う~~~んお米の優秀さがわかるなぁ。逆にクリは甘い割にカロリーが少ない。

逆にメザシはどうなっている?

4尾で66グラム。可食部56グラム。カロリー144Kcal

う~~~んおかずとして塩分とる以外にカロリー的には大したことがない。

逆に鹿肉とかはどうだ?100グラムあたり110カロリー?????

クリより低いの?

猪肉はおっとそれでも100グラムあたり268Kcal

うさぎ肉は100グラムあたり146Kcalか

何をやっているかというと青森県の方の縄文遺跡で最大で500人が生活していたという記録があった

メインがドングリだったらしいけれどその他の食べ物も出てきたのでカロリーが気になってちょっと調べたという次第。

ネットはいいねぇ・・・ちょっと気になったことでもすぐに調べることができる。

えっと成人で必要なカロリー数は、

女性でやや働く人で2400Kcal お米換算で 674.15グラム ドングリで 952.38グラム

男性で同じく男性で3000Kcalか 同じく お米で846.96グラム ドングリで 1,119.04グラム

ドングリ女性250人が食べる量で238.095キログラム

同じく男性250人が食べる量で279.76キログラム

合計で517.85キロ

年間で189,017.09キログラム≒189トン

もしドングリだけで500人の人間を食べさせるとしたら年間189トン必要だ。

あと検討しなければならないのはヘクタールあたり何キロのドングリが取れるか

そうすると、何ヘクタールの森がなければ年間500人からの人間を食べさせられるかという話になってくる。

ん~~~やっぱり考古学は経済だねぇ。

 
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2013年10月21日月曜日

続・西欧化は女性の地位をさげた~ルイス・フロイスの記録より~

ルイス・フロイスという宣教師が居た。

この人30年以上も日本に居着いたんだよね。

いつくだけの人ならいっぱい居たのだろうけど

この人はしっかり本を残していた。

それが「日本史」という資料で、当時の日本の風俗を記した貴重な記録になっている。

なぜって、このブログでもちょこっと触れたけど

人間は毎日過ごしている日常を記録はしないし

風俗や習慣など自分たちが当然と思っていることを残そうとは思わない。

例えば、祭りがあっても普段通り祭りが執り行われたら

「○年☓日に、祭りが例年どおり行われた」としか書かれない。

ここでちょっと問題が起これば、色々な記録が残されるわけだけど

その考察はまた今度にしよう。

ところが、その何の変哲もない毎日を

異邦人がみたらどう思うか?

すべてが新鮮な発見の連続だろう。

実際、ルイス・フロイスの「日本史」もそういった視点で書かれており

もし、彼が居なかったら記録されなかった事も多い。

ただし、彼は宣教師という立場で物事を見ているということを忘れてはいけない。

そして、彼が異邦人であるから余計理解しないで

書いた記録もある事も当然あると思う。

それを前置きして一つ一つを見て行きたいと思う。

 
日本の女性とその風貌、風習について、日欧文化比較より

今日は、特に若い女性に関しての部分を抜き出して見ました。

一、ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と尊さは貞操であり、またその純潔がおかされない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ、結婚もできる。  

 三四、ヨーロッパでは娘や処女を閉じこめておく事は極めて大事なことで厳格に行われる。日本では娘たちは両親に断りもしないで一日でも数日でも、一人で好きなところへ出かける。 


1についてはう~~ん。

個人的には、やはり適切な年齢と適切なときにちゃんと経験しておいたほうが

後々のためだと思うし、この考え方は間違っちゃいないと思う。

 ただ、俺の若い頃は処女性というものを貴重なものと考えてた風潮もあるし

未だに結婚前の男性関係を気にする男性が結構いるからどうなんだろう?

やはり処女性を尊ぶ西欧化されていたということなんだろうか?

三四に関してはヨーロッパの考え方は不健康そのものだし、”箱入り娘”と言った言葉が

浮かぶ。

ただし、”一人で出かける”というところがかなり怪しいかな?とは思っている。

ルイス・フロイスがどの社会階層と付き合っていたかはっきりと書いていないが

社会階層の上位の人間であれば、一人というのは、家人が何人ついていても一人

ということになるのではないかと思う。

この辺、中世史の素養がないおいらには難しすぎるな。

若い女性の件だけ見ても、ルイス・フロイスがおかしいと思った部分を共感できてしまう。

やはり、我々は西洋化とともに、色々なものを置き忘れてしまっているようである。

次回は既婚女性の回です。

もうちょっと煮詰めてから書きたいなぁ。

ちょっち消化不良気味。


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2013年10月19日土曜日

歴史は経済でかたるか

三内丸山遺跡という縄文時代の遺跡がある

いっときは500人からの人間がすんでいて500年続いた遺跡だということだ

遺跡からはドングリ、クリが多量に発掘され

それが主食であったことを伺わせる。

500人からの人間をドングリ、クリで支えるにはどれくらいの広さの

森が必要か?

ドングリは、アクが強くそのままでは食べられない

あく抜きをするのに長時間水に晒す必要がある

どれくらいの水が必要か

灰でもアク抜きができる

その灰を作るためどれだけの木を燃やさなければならないのか

クリ、ドングリは、稲に比べてどれくらいのカロリーがあるのか

500人の人間が飢えないためにはどれくらいの量が必要か

こう考えた時にわかるのは

原始共産制などというのは全くの嘘であるということである。

厳しい自然の中で生きていかなければならないのだ

手を伸ばせば樹の実が落ちていてそれを食べれば一日が楽しくすぎる世界

そんな世界ではない。誰かがルールを共用し

ルールを破る人間は追放するぐらいの強い意志がなければとてもではないが

集団を守れない。

戦国時代

なぜ室町幕府は弱かったのか

なぜ戦国大名は戦国大名たり得たのか

彼らは戦争だけやっていればよかったのか?

戦争をするには物資が必須だ

その物資を生産、もしくは交易によって得るには何が必要か

戦国を生きる武将はけっしてただの戦バカであったわけではない

経済がわかっていなければとても領国の経営と

物資が湯水ほど必要な戦争など出来はしなかった

江戸時代

諸藩の台所がくるしくなり、参勤交代をゆるめた将軍が居た

その結果どうなったか?

参勤交代の度に潤っていた江戸の街は貧しくなり

大名が金を落とさなくなったため街道は寂れた

一方に良いことをしたと思えば、他方に悪影響がでる。

まさに経済がわかっていなければ幕府の経営も成り立たない。

歴史は、一部の英雄たちがプライドによって作り上げたわけではない

すべて経済によって裏打ちされている

それがわからなければ、現代に起こっている様々な事件も理解できないだろう。

いい年になったけれど最近までわからなかった。

少しづつ学んでいきたい。



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2013年10月15日火曜日

夜這いは正しく日本の文化か?

民俗学という学問がある。

文字をあまり使わない学問で歴史学よりもより

人々の生活に密着している学問というイメージが強い。

というわけで、調査に当たってはフィールドが多くなる。

ほとんど聞き取りだ。

しかも、その時代の事を知っている人間に当たらなければならないし

かなり仲良くならなければ、教えてくれない人もいる。

まして「性風俗」などという現代の人が眉をひそめるレベルのことになると

ほとんど絶望的にハードルが高い。

そのハードルを乗り越えた成果の一つというか

わかりやすい結果の一つとして2つの漫画がある。

永久保貴一原作、増田剛作画の「御石神落とし」



柏木ハルコの「花園メリーゴーランド」

以上2つである。

どちらも、夜這い・・・というより日本の性風俗がおおらかと言うかなんというか・・・

自由なもの。年上が年下に手ほどきを教えていく、既婚者が性教育を施していく事を中心に

描かれている。

そして、明治の維新になり西洋化によっておおらかな文化は消え去ったというのだ。

もちろん昨日の話でも言ったとおり女性の尊厳が失われたという事実もあったとおもう

さて、おおらかな性文化というものは果たしてあったのだろうか?

農村では、祭りの度に男女が夫婦の垣根を超える。

そこで出来てしまった子は、村の子だから育てる。

・・・これは?

家族制度の破壊に通じてしまうのではないか?

実際にこの話が事実かどうかという確たる証拠はない。

民俗学者が、苦労して集めた古老たちの話をまとめたものだ。

しかし、その学者が果たして中立の立場の人間なのだろうか?

日本の伝統を破壊することを心の何処かで望んでいる立場の人間ではないいのか?

もちろん、その他の学者も侍の日記の研究から日本人は性におおらかであったと記しているし

戦国時代に渡ってきた宣教師たちもその奔放さに驚いている。

ずばり、「源氏物語」という物語もある。

性倫理の話は時代によって変わってしまうことも理解できる。

詳細に見ていけば、この事を一生懸命しらべた学者の熱意も感じるし

確かに、このとおりだったのだろうと納得もできなくはない。

ただ、この研究結果を持ち上げているのが左巻きの連中ということに

やはり、この研究は日本を貶めるために造られた話なのではないか?

そんな思いがしてしまうのである。

ね?昨日行ったとおり全然艶っぽくない話だったでしょw



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2013年10月14日月曜日

西洋化は女性の地位を下げた(赤字追記)

今日のタイトルは、かなり挑発的ですなぁw

まぁ事実なんだからしょうがない。

日本に来た宣教師たちによれば、

日本では女性の財産権があり、旦那が借金をすることも珍しくなかったそうな

当時のヨーロッパでは女性は男性の持ち物であるから財産を持つなんてとんでもない

と思われていたからこんな記録が残っていたのだろう。

人は、自分がおかしいと思うことは書きとどめ、

日常の事はあんまりかきとどめない。

で、当然財産も持っていたので、旦那からは自由。

既婚者でも自由に恋愛した。

ちょっと時代が違うけど『源氏物語』の世界なんだろうな。

でだいぶ時代が下がって江戸時代。

やっぱり、女性は自由だった。

なにしろ江戸の男女比は7:3。

女性の超売り手市場。

いわゆる三行半は男性のみが書けるので

三行半書かれた女性は泣く泣くわかれたとの思い込みは面白いね

三行半かいたら持参金満額返さないと離婚できないんだよ。

逆に、持参金はいらないから三行半かけって言われると

渋々書かなきゃ行けなかった。

今ほどの法の不備はお金で補完していた感じだな。

そして離婚してしまうと、最初に言ったとおり

男なんてよりどりみどり。

江戸の街に行けば働くところは山のようにある。

子供がいたって長屋のご近所が面倒を見てくれる。

男なんてマッピラごめんという生き方も出来た。

田舎の方でもそれなりに裕福な生活をしていたと聞くが

まだネタを仕入れていないので。

明治期に入って西洋化が進むと、女性は貞淑にとか

つまり、女性は男性の持ち物だ的な西欧的な

そんなアホな考え方が入ってきて

で、戦後に女性の解放だなんて訳の分からない事を言っている。

マッチポンプもいいところ。

日本の女性は昔は開放されていたのにね。

そういう事実を見ないで

農村は貧乏だった、とか女性は昔から虐げられていたとかさ

戦後の教育の悪弊を感じるよ。

うん、昨日の聖徳太子から随分変わってきてしまったなぁ。

明日は夜這いの話。

艶っぽい話というかなんというかあまりそういう風にならないと思うので・・・期待せんといて。

    

2013年10月13日日曜日

聖なる夜には、馬小屋がよく似合う。

12月25日は、なんの日でしょう?

そうです。ミトラ教の冬至のお祭りです。

・・・・

聖なる方が生まれた日だと思っておられる方

それは、間違っている。新約聖書にイエスの生まれた日の記述はない。

なので、もともと民間に広まっていた冬至のお祭りに便乗して

いつの間にか・・・・というやつなんだろうなぁ

ステマですなw

クリスマスよりは、あんまり日本に馴染みのない復活祭の方が盛大らしい。


もともと、キリスト教は、ユダヤ教の宗教改革の一環の中で

出てきた一分派ではないかと睨んでいる。

なんにしろ、イエスがここまで持ち上げられたのは

やはりカトリック教会が権力と結びついた結果なのかな?

「神の御名において塩は専売である」なんて冗談抜きでやっていそうだな。

カトリックの経済って論文ありそうだなぁ。

きっと日本語訳は少なそう。日本人にはピンと来ない事が多すぎるからねぇ。

話を戻して馬小屋で生まれた聖人。イエス

さて、我が国にも馬小屋で生まれた聖人が居ますね。

聖徳太子です。

う~~~ん。あまりにも似すぎている。

命題一「キリスト教が、聖徳太子の説話に影響を与えた可能性を考えろ」

むかし、こんなレポート書かされた気がするなぁ。ほとんど忘れちまったけど。

キリストが生まれたのは、ん???紀元0年ってことになるのか???

あぁそーかそーか。それでムスリム歴とかあるんだよな。宗教だしそーかそーか。

ちなみに皇紀660年ですな。(ニヤリ)

で聖徳太子の時代がっと西暦574年か・・・・。

伝わってくるとしたら、当時のチャイナだよな。当時の王朝は「唐」だよな。

どうも景教(ネストリウス派のキリスト教)が入ってきているよな。フム

431年のエフィソスの宗教会議で異端にされたのだから、都落ちはその後になるよなきっと

聖徳太子が生まれた年から140年前。

景教が、チャイナに伝わったのが太宗の頃だから・・・ん?太宗の生まれた年が598年???

お?聖徳太子より下???

在位が626年から649年。不可能じゃん!

・・・きっと正式に伝わったのが太宗の治世だったとしても、かなり無理があるなぁ。

う~んキリスト教の影響を受けたという可能性は全くないとは言わないけれど・・・だなぁ

逆に、こう考えたほうがよさそうだな。

「貴人がみすぼらしい場所で生まれる」というモチーフが普遍的にあって

イエスの生誕も、聖徳太子の生誕もそれをもとにして書かれたって方が素直に聞けるよな。

さすがに、グーグル先生もそこまでは教えてくれなかった。

案外つまんない結果になってしまいました。





2013年10月12日土曜日

九州か近畿か問題はそれだ!

昨日卑弥呼の話しを出したので

ついでに、邪馬台国はどこにあったかという論争

九州・近畿の2つが主な候補だけど、実は他にもいっぱいある

一番遠くはエジプトという説もある。

一応、目安はある。昨日の「倭人条」に書いてある。

でもそのとおりに行くと太平洋のどまんなかに出てしまう。

そこで、色々な論争が起きるんだな。

まず卑弥呼って女王がいるから、皇室の伝統ではなく、地方部族だから九州だ!

いや卑弥呼とは神功皇后のことだから大和地方(畿内説)ね。

日本国内にもアチコチに「ヤマト」という地名があるからそこかしこに邪馬台国はあったのだ

一番いかれている論文になると

卑弥呼とはクレオパトラのことであるから邪馬台国はエジプトにあったのだ

百家争鳴。

決着がつかない。

かといえば「元々の文章がおかしいのだ。実をいうとこれは政治的な意図があって

本来はこう読むのだ」と文章を勝手に読み替える人間も出てくる始末。

う~~~んおわんない。

俺が学生やっていた時はメチャクチャそんなのが流行っていたのだけど今はどうなんだろう?

昨日も少し話したけれど、佐賀県で吉野ヶ里遺跡が出たときは衝撃だった。

倭人条に書かれているとおりの集落があったからだ。

これで九州説にはずみがついたかとおもいきや

畿内説の連中は、弥生土器に記されている妙な建物をたてて対抗した。

そしてこういう

「一般の方たちの間では九州説が有力になっていますが

学会の定説は畿内説なんですよ」

ん~~どこかで聞いたような捏造のささやきというかなんというか。

さて、実際はどこにあったんだろうか。

正解は、「誰にもわからない」である。

邪馬台国のあった時に書かれた文章なんて『三国志魏書東夷伝倭人条』だけだし

(『後漢書』があるけど三国志を読んで書かれたんだろうともっぱら・・・)

そんな不正確な文章で場所を特定できるなんてありえない。

仮に、文章に出てくる「金印」がどちらかの地区で出てきたにせよ

「金印」がものだけに簡単に動くという性質から絶対にどっちの説も消えない。

どのみち「だれにもわからない」のだ。

2013年10月11日金曜日

神話を超えて

とりあえずオオクニヌシの話はこれでおしまい。

次は我らが主神、天照大御神です。太陽神。太陽が女性神でしかも主神て日本だけじゃないかな?

古くはエジプトのホルス神、ギリシアのヘリオスにアポロン、ペルシアのミトラ神。すべて男だぁ。

ん?まてよ?古代のチャイナはどうだったんだろう?確かジョカとかいう大蛇の女神だったので

は?

おっと間違った。ジョカは人間を創造した女神だった。なるほどチャイナには太陽を神格化することはなかったのか。

すると、やはり日本神話は独特だな。ん?主神てなんだ?神々の王って事だよな。

女王。。。で卑弥呼と。うん多少強引であるけど繋がった。

卑弥呼というと出てくるのは『魏志倭人伝』と考えたあなた。半分正解。

正確には 三國志魏書東夷伝倭人条が正解。

大体、248年くらいの人で、その頃は弥生時代後期。

弥生時代と言うと米作りが始まった平和な時代と思っている人もいるかもしれない。

所がギッチョン、戦国時代だったのでは?と考古学。

何より証拠に佐賀県の吉野ケ里遺跡。見てもらうとわかるけど砦よ砦。

そして弥生時代の人骨には戦闘による負傷で死亡した痕跡が多く見つかっている。

倭人条にもその様子がありありと記述されている。

卑弥呼が死んでから男性の王が立ったが、国が収まらずついにイヨという少女を立ててようやく収
まったとある。

『イヨはまだ13だから~♪』←トヨって説もあったけど(爆)

さて卑弥呼の時代から、およそ500年で古事記が記述された。はたして卑弥呼の記録が残っていたのだろうか?

蘇我氏滅亡のおりに多量の記録が消失したとある。

その中に女王が国を支配した記録が残っていたのかもしれない。

いずれにせよ、女王が支配していた国があった、それが天照大御神に繋がった。

なんてなんにも記録が残ってないんだから判断する材料が全くない。

都合よく歴史のロマンだな~位に考えておいた方が無難なんだろうなぁ。

2013年10月9日水曜日

死と再生

本来、神話なんてどうでもいいんだけど気になり始めたので続き。
 
二度死んだ英雄はいないと、自分で書いて疑問がわいたので、英雄ではなく‘’神‘’だったらどうだろう?
 
調べてみると、死と再生の神というのは結構いる。もともと死は再生の前段階で死神=再生神というのは理屈にあっている。ヒンドゥー教のシヴァ神が破壊と再生を司るのと一緒だな。
 
で改めてオオクニヌシという神を見てみるとその父祖神のスサノオは根の国=地下の国と言っていたけどなんの事はない死の国の事だよな、そこの王である。で、オオクニヌシも天孫に国を譲ったあとは冥界の王となっている。

日本には冥界の王(女王)が三柱いて、イザナミとスサノオ、そしてオオクニヌシとなるのか。ふむ面白い。

八百万の神って言うくらいだから、冥界に神様が三柱くらい居ても問題ないか。
 
さてオオクニヌシは一人で国造りを行ったわけではなく、スクナヒコナという神と一緒に行った。この神様も気まぐれで何処かに行ってしまうんだな。

途方に暮れたオオクニヌシがこれからどうすべえ?と悩んでいる時に一柱の神が近づいてきてオレを祭ってくれるなら国造りを手伝うぜ〜。この神様がオオモノヌシという三輪山にまつられている神様です。
 
オオクニヌシとオオモノヌシ????似た名前だ!そう気がついたあなたは鋭い!オオモノヌシはオオクニヌシの和魂、善神の部分といわれていてその本性は黒い小さなヘビだと言われている。

考古学やっている人だったら箸墓古墳を思い出すだろうな。卑弥呼の墓だって言っている人もいる。
 
そこは置いといてここで問題にするのはヘビだヘビ。

死と再生の神は毎日昇ったり降りたりする事から太陽に例えられたり、満ち欠けから月に例えられたりする事が多い。

それと一緒でヘビもものすごく多いんだ。脱皮!古い皮を脱ぎすてる習性が死と再生を思わせるからという理由なんだ。
 
さて、これで話は元にもどったオオクニヌシが何度も死んでいるのは蛇の化身だからなのかな?
今日はこんなところで終わり。

最後までつきあってくれてありがとうございます。

二度死んだ話

大国主は、『日本書紀』、『古事記』に登場する国造りの神で農業神、武神、縁結びの神とさまざまな性格を持つ。因幡の白兎の話が、一番ポピュラーだろうか。

 彼が国造りを始める前に、彼は、彼の兄弟によって二度殺されている。彼を殺した兄弟は、八十神と表現されているが、これは大江戸八百八町の言い方にある様に、多くの神という意味ぐらいに理解している。

彼が兄弟から殺された理由は、女性の取り合いである。彼の兄弟達が、とある女神に求婚すると、彼女は大国主がいいという。

大国主は、兄弟達の今風に言うならパシリであった。しかし、彼は因幡の白兎の話に見られるように優しい心を持った神だった。

 この部分が非常に面白い。1,000以上昔から、我が国では優しさと勤勉さが美徳とされていたと言う証拠である。(古事記の成立は712年

そして嫉妬に狂った兄弟たちに殺されてしまうのだ。
 
男の嫉妬はやはり醜いものとされているのがまた、面白い部分である。現代でも十分通じる。
 
そして母親の献身によって蘇る。
 
そして、人がいいというかなんというか、またあっけなく殺されてしまい、またまた母親の努力によって蘇るのだ。
 
この二度の死は、英雄神に生まれ変わるための通過儀礼である、との説を読んだ。しかし、一度ならず二度死んで蘇った英雄はいるのだろうか?
 
寡聞にして知らぬ。Wikipediaで少し調べてみたのだが、知っている限りの英雄で2回死んでいるというのはなかった。

彼は、二度目の死のあとでも英雄にはなれず、スサノオの試練を乗り越えて初めて英雄になる資格を持つ。
 
最後の最後に彼を救ったのは、一匹の小さなネズミだった。